●自衛官の募集に市町村が協力的でないと政府がいら立っている。志望者が少ないらしい。この分では遠からず警察官も不足するだろう。厚生労働省では人手不足も一因で統計調査の不正が起きた。やがて公務員のなり手もいなくなるだろう。一体こんな日本に誰がしたとなった時、今度の戦争の時と同じように、天皇でもない軍人でも政治家でもない、戦争を阻止できなかった国民全員の責任だということになるのだろうか。
 先の戦争のことは知らない。しかし地方が衰退し、ここまで人口減少を引き起こしたのは明らかに政府の責任だと思う。敗戦後、日本は復興するために労働力を中央に集め、重厚長大な輸出力のある大企業の育成に努めた。この政策はある時期までは一定の成功を収めた。しかし、この手法が時代の変化に合っていないと気が付いて、国土均衡、地方創生を打ち出し、さまざまな政策を実施し始めた。膨大な予算も付けた。時すでに遅しの感はあるけれど、悪いことではない。しかし、いろいろな法律を作りキャンペーンを張っても、なぜか人口減少は一向に止まらない。その原因に思い当たることがある。本気でないのである。憲法改革や安全保障、金融政策の後に回されているのである。それにさまざまな政策を実施しても、回り回って東京と大企業を利する仕組みになっていることがバレバレなのである。
●国の根本のかたちを議論する時、政治家の中には「国がなくなっては元も子もないじゃないか」と言う人がいる。この発想がある限り、地方は活性化しない。国家が中心という考えがそもそも地方活性化に当てはまらない。
 「国家がなくなっても地方が元気ならいいじゃないか」というぐらいの覚悟がなければ、地方は元気にならない。地方が中央の下請けと考えている間は、地域は限りなく地盤沈下し、人口減少はますます進むだろう。
●本当に国のかたちを変え、国家百年の計を考えるなら、やることは山ほどある。官僚の採用は中央省庁が行うのではなく地方自治体が行うのである。公務員を目指す優秀な若者は自治体に就職し、数年後に中央官庁に出向すればいい。若い官僚が、入省数年後には県庁に課長職で赴任し、長年勤務している年配の地方公務員の上司になると言う前近代的なヒエラルキーをおかしいと思わない間は日本に元気が出ない。
●日本では政界でも経済界でも、その他の組織でも、権限を持つ長と名の付く人は大体50歳以上の人だろう。大組織になれば60歳以上かもしれない。この人たちの権限は絶大である。行動経済成長時代に家に帰らず働いたと自負する人も多い。しかし、この人たちの経験と誇りと知識が至る所で害になっていることも多い。日本で自然エネルギーの導入が進まないのは技術的問題というよりも、意思決定者の頭の固さである。例えば、あるプロジェクトの入札で、三井、三菱、日立などという大企業と無名の小さなベンチャー企業が競合した時、圧倒的に大手が採用されるだろう。それは技術力というよりも看板と信用の差なのである。看板と信用もアテにならなかったという結果になったとしても、担当者は責任を追及されない。あの大企業でもできなかったのなら、どこがやっても無理だったのだという弁解が通じる社会なのである。
●NHKの「チコちゃんに叱られる!」を見ていたら、「大人になるとあっという間に1年が過ぎるのはなあ〜ぜ?」という問題が出ていた。答えは、「人生にトキメキがなくなったから」だった。ホントかいなと思ったが、確かに思い当たるフシはある。子どものころはすべてが初体験だった。ソフトクリームを食べたのも、鳩を抱えたのも、自転車に三角で乗れたのも、感動的な出来事だった。今はあんなトキメキを感じることはなくなった。代わりにシンロウが増えた。心労は時間の経過をたちまち忘却させる働きがあるのだろう。
●元号に異論も多々あるようだけれど、本誌は「令和」を気に入っている。いまのところ、この元号にどんなイメージも付着していない。この元号にどんなイメージが付着するかはこれからのわれわれの振る舞いによるのだろう。
 5月から新時代の始まりです。そんなに先のある年齢ではありませんが、それでもいいことがいっぱい訪れることを祈念しているこのごろです。