●ちょっと古い話になって恐縮だが、昨年の紅白歌合戦をぼんやり眺めていて、知っている歌手がほとんどいないことに気が付いた。30年前は大抵の歌手の名前は知っていた。20年前でも半数ぐらいは知っていたと思う。今年は何人かのベテラン歌手を除いて初めて見る顔ばかりだった。紅白歌合戦は老人化の度合いを測るバロメーター番組のようである。出場歌手の何人を知っているかで、肉体年齢ならぬ感覚年齢のようなものを調べることができそうだ。それにしてもここまで知っている歌手がいなくなったということは、かなり老人度が進んでいるということなのだろうか。

脳の容積はあらかじめ決まっていて、古い情報でいっぱいになってしまえば、新しい情報はインプットされてもこぼれ落ちるばかりで記憶されないと何かの本で読んだことがある。確かに30年前の出場歌手の名前はたちどころに20人は言えるのだから、古い情報は脳の底にしっかり沈殿しているようだ。出場歌手を一人も知らないとなってしまった時、どんな世界が待ち受けているのだろう。まあそれまでは生きていないか!

●まちづくりに情熱を燃やしている若い人たちに会うことがある。世代は違っていても同じ目的を持っているのだから、まちづくりの成功事例や地域の有名なキーパーソンは当然知っていると思って会話をするのだが、それを知らない。本誌内山節編集長の著作を一冊も読んでいない人もいる。これは不勉強というものではなく、まちづくりに向いていないというものでもない。地域振興を専門とする学者を目指すのならともかく、現場でまちづくりに取り組むのに必ずしも過去の事例を知っている必要はない。情報ばかりの頭デッカチ人間よりも日々の新しい発見に感動する人のほうがいい仕事ができるだろう。本誌はそういう若者たちに向かって下手な講釈を垂れたり、経験者づらをするのではなく、その未経験に謙虚に寄り添うのが役割だと思っている。情報や経験は必ずしも善ではない。

●韓国との間が剣呑である。韓流ドラマが放映され、韓国の歌手が人気があるというのに、融和には程遠い。保守派の論客は韓国からの異議申し立てに対して、1965年に交わされた日韓基本条約ですべて解決済みなのだから、今さら昔のことをぶり返すのはフェアじゃないという。反日であることで国民がまとまる国だとか、“恨”は伝統的な文化だとか、歴代大統領が引退後に悲惨な末路になっている国だから信用できないとか、いろいろ言うけれど、違うと思う。

●そもそも日韓基本条約の交渉の最初から何か肝腎なものが抜けていたのではないか。というのは、このごろの日本の政治家の態度に違和感を覚えるからだ。不用意な発言をしたり、政策の失敗を追及されたりすると、“不快を与えたとすればお詫び申し上げる”というような謝り方をする。これは謝っていることになるのだろうか。「私は間違ったことを言ったとは思っていないが野党やマスコミがウルサイからここはとりあえず頭を下げておくことにする」という気持ちがありありで、少しも謝っているように見えない。それでもお詫びして発言を撤回すれば、その場は一応収まり沈静化するのが日本だが、韓国には通用しない。国会で大臣の答弁を聞いていても木で鼻をくくるような、誠意のない通り一遍の説明が横行している。誠心誠意相手に理解してもらいたいという熱意が感じられない。辺野古についての政府のコメントに誠意を感じたことは一度もない。韓国から繰り返し異議を申し立てられるのはこのためである。「心がこもっていない」のである。

●日本は日韓基本条約で巨額の資金協力を韓国に対して行い、請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決されたはずだった。しかし、心がこもっていなかったのである。不信感は当初より発生していたのだろう。心がこもっていない条約では真の和解はあり得ない。それじゃ一体いつまで謝ればいいのかという人がいるだろうが、神戸女学院大学名誉教授でフランス文学者、また武道家でもある内田樹氏は「向うがもう謝らなくてもいいというまで」と書いていた。まったく共感する。

●植民地支配の屈辱が100年やそこらで消えるものではないだろう。慰安婦、徴用工も問題だが、1939年には任意の申請制ではあったけれど創氏改名が行われた。日本に都合のいいように日本式の戸籍制度を導入するために姓を変更することを進めたのである。私は結構根にもつタイプだから、もし逆の立場で菅原を改名しなければならなくなったとしたら、その怨念は末代まで残っただろう。戦後、日本はアメリカに占領されてイバラの道を歩んだが、スミスやジョンソンやウィリアムズなどに改名させられることはなかった。平和主義者であり臆病主義者でもある本誌は、隣人とは敬意と節度のある付き合いをしたいと思っている。日韓関係が悪化して政府間で非難の応酬があっても、両国の一般国民は平静である。案外、政治家より一般の国民のほうが賢明なのかもしれない。

春はもう目の前まで来ています。インフルエンザとはしかにご注意の上、桜の開花を待ちたいものです。   (KS)