特  集

特集・山形県鶴岡市/後編 

 地方に対する“格下感”を逆転させることが、地方創生の鍵だという
       冨田勝
教授 

 30年後、山形県鶴岡市は間違いなく人口減少から脱却し、地域づくりの成功事例として注目を浴びているに違いない。前号では小さいながらも地域の困りごとを解決するさまざまなビジネスを立ち上げている「鶴岡ナリワイプロジェクト」と、権利が複層して利用価値の低い空き家や土地の整理を進めるNPO法人「つるおかランド・バンク」を紹介した。いずれも目先の利害よりも将来を見据えたまちづくりである。

 今号では後編として、海外からも視察が絶えない鶴岡サイエンスパークの先端生命科学研究所と日本西海岸計画を取り上げた。後者は酒田市に本拠を置いているから厳密にいえば、庄内特集ということになった。(本誌・菅原)

 

シリコンバレーを超える美しい研究都市を目指す鶴岡市

 鶴岡市のまちづくりの中核を担っているのは、2001年に鶴岡市、山形県、慶應義塾の三者協定で設置された鶴岡サイエンスパーク内に設立された先端生命科学研究所である。先端生命科学研究所は、サイエンスパークの中で最も重要な役割を果たしている。鶴岡市の画期的なまちづくりは、今年6月に亡くなられた富塚陽一元鶴岡市長(193120181991年から518年にわたって市長を務めた)のもとで始まったもので、これからは大企業の工場を誘致する時代ではない、創造的な研究拠点を設置し、先端産業を生み出していかねばならないという考えに基づくものだった。この研究所で陣頭指揮を執っているのは慶應義塾大学の冨田勝教授(60)である。研究所がオープンして17年、今や目覚ましい研究成果を挙げて、日本のシリコンバレーになるかもしれないと熱い視線が注がれている。どんな研究が行われているのだろうか。

冨田 一言で言えば、バイオテクノロジーを研究しています。研究所から誕生した代表的なベンチャー企業は6社あります。血液検査でうつ病を診断する技術を持っているヒューマンメタボロームテクノロジー株式会社は5年前に東証マザーズに上場しました。鶴岡市に本社を置く唯一の上場企業です。スパイバー株式会社は、軽くて強靭といわれている蜘蛛の糸を人工的につくり出すことに成功した会社で、すでに商品化を検討する段階に来ています。株式会社サリバテックは唾液からがんを発見できる画期的な検査技術を開発し、株式会社メタジェンは病気予防のために腸内細菌叢を研究している会社で、便には貴重な情報が含まれていることから“茶色の宝石”と呼んでいるユニークな会社です。株式会社メトセラは心臓組織などの再生医療を研究し、株式会社MOLCUREは人工知能を活用した創薬支援の事業を展開しています。

 冨田教授が所長に就任した時は42歳だった。冨田さんは大都市ではなく、小さな地方都市の鶴岡で研究するのだから、誰もやっていない面白い研究をしている科学者に集まってもらいたかった。そこで、有能な若きサイエンティストたちに分子遺伝学やゲノム工学と情報科学を融合した新しい研究を一緒にやらないかと声を掛けたところ、大勢の研究者たちは目を輝かせて意欲を示した。しかし、場所が鶴岡だと言うと、“それはちょっと”と一様に尻込みをしたという。研究の条件が整っていて、環境のいい地方都市なのになぜか東京を離れたがらない人が多かった。

冨田 家族や子どものこともあると思いますが、地方に行きたがらない心理の背景には東京に居ることの根拠のない優越感や地方へのいわれなき偏見のようなものが横たわっていると感じました。だからこそ鶴岡に来てくれた研究者たちは、つまらない先入観に左右されないチャレンジ精神の旺盛な人たちだったと思います。

 冨田教授は、1957年東京生まれ、1981年に慶應義塾大学工学部数理学科を卒業後アメリカのカーネギーメロン大学に留学。カーネギーメロン大学の助手、助教授、准教授を経て、同大学の自動翻訳研究所副所長を歴任、日本で博士に当たる情報科学の学位Ph.D.を取得している。冨田教授のすごいところは、研究分野の幅の広さである。専門はシステム生物学ながら京都大学で電気工学の博士号を取り、慶應義塾大学では医学部に入り直して分子生物学で医学博士号を取っている。

 開所に当たり、研究所長には国立大学の功成り名を遂げた有名教授が就任し、部下の研究者を引き連れてやってくるという話もあったが、いろいろな事情で立ち消えになった。権威にぶら下がるよりも、柔軟な発想で未知の領域を切り開いてきた冨田教授を迎えることができたのは、鶴岡市にとっては大変幸運なことだった。ちなみに冨田教授のお父上は、世界的な作曲家でシンセサイザー奏者の冨田勲氏(19322016)である。

冨田 大学や学術研究は人口が密集した大都市ではなく、自然豊かな地方都市にあるべきだというのは欧米の先進国では常識になっています。私が留学したカーネギーメロン大学はバージニア州のピッツバーグというところにあり、広大な敷地は芝生で覆われ、研究施設以外にテニスコート、インドアプール、サウナやジム、レストランやバーがあり、ビリヤード場からゲームセンターまでありました。カーネギーだけでなく、ハーバード大学もプリンストン大学も、あるいはイギリスのケンブリッジ大学やオックスフォード大学もすべてのんびりした田舎町にあります。ピッツバーグに10年間滞在しましたが、不便だと思ったことはありません。私は、研究・開発、学問・学術、芸術なんかは都会でやる必要はなく、むしろ不向きだと思っています。研究や芸術活動など創造的な仕事は田舎で行うべきだということは、多くの日本人も分かっていると思います。グループでアイデアを出し合おう、と合宿をする時は、箱根や軽井沢や那須など自然豊かな田舎に行くでしょう。決して都心のホテルではやりません。自然豊かでリラックスできるところのほうが集中できるし、良いアイデアが生まれるからです。それなのにどういうわけか日本では、研究機関は大都市圏に集中しています。日本のサイエンスの弱点、遅れている点はこんなところに表れていると思います。

 国がつくった学術研究都市を見学したことがあるが、いかめしいアカデミックな雰囲気はあるものの楽しさが感じられなかった。まちを歩いていてもワクワク感がない。いかに重厚な建物、最新鋭の実験機器を用意されていても、簡単に新しい発明や発見ができるとは思えない。科学者とて生身の人間だから、潤いのない場所からは素晴らしい発見は出てこないのではないかと思ったものだった。

 セレンディピティという言葉がある。偶然に思いがけない発見をする能力のことだが、往々にして偉大な発見は、豊かな自然の中でのひらめきから生まれている。都市よりも田舎のほうが研究に向いていることは分かっていても、なぜ研究者たちは東京を離れたがらないのだろう。

冨田 日本には「地方」と付くとネガティブとは言わないまでも東京より格下というイメージが付きまとっています。東京が一軍なら地方都市、地方大学は二軍というイメージです。僕自身は東京生まれの東京育ちで、山形には友人も知人も親戚もいませんでしたので、鶴岡に赴任が決まった時は漠然とした不安がありました。しかし、鶴岡で研究生活を始めてみると、いいことづくめであることに気が付きました。食べるものが断然おいしいし、夕日が沈む美しい日本海にも、スキーを満喫できる山にも近く、居住環境は抜群にいい。1戸建ての広い家を東京の何分の一かの家賃で借りられるし、近くには温泉もある。通勤も徒歩で5分、自転車で5分、車で5分か、長くても10分、15分です。東京だと電車の乗り換えもあって1時間は普通で、往復で2時間はかかる。しかも満員電車で座ることもできません。鶴岡は日本海側だから遠いというイメージがありますが、羽田との間をANAが一日4往復していて、田舎の不便さを感じることはありません。

 研究に限らず多くの仕事は地方でも十分やっていけるにもかかわらず、日本人はなぜ地方に住みたがらないのだろうか。国会議事堂はあるし、中央官庁が霞が関に集中しているので日本の中心地というイメージがあるかもしれないが、しかし、ほとんどの仕事は、そのような機関と毎日接触しなければならないわけでもない。冨田教授の言うように、地方は東京の格下というイメージのためではないか。

冨田 例えば大企業の多くは東京に本社がありますね。地方には支社があります。支社に転勤になると、俗に“飛ばされる”という言い方をすることがあります。地方が格下に見られている証しではないでしょうか。私はそれを逆転させたい。本当に素晴らしい人が、地方の最先端企業に就職して、エキサイティングな仕事に従事し、プライベートはゆったりしたスローライフを楽しめる生活文化をもっと日本人に広めたい。そういう生活に若者が憧れる未来をつくりたいのです。僕は地方が格下だと日本人が思っている間は、本当の意味での地方振興はないと思っています。

いま鶴岡のベンチャー企業で働く人の中には、東京の事務所に勤務になることを“東京に飛ばされた”と言う人もいるそうです。意識が逆転しているのです。この流れをもっと大きく広げて行きたいのです。東京に人口が集中し、地方が過疎化するのは、地方にキャリアアップにつながるようなエキサイティングな仕事が少ないからだと思います。エキサイティングでわくわく感のある仕事をどれだけ創出することができるかが、地方創生の鍵なのです。

 

自由かつ率直に討論できる研究所

 冨田教授はアメリカの自由な空気の中で研究してきたせいか、従来の研究システムを大胆に改革してきた。

冨田 私はここでは研究室制度というのを廃止しました。日本の研究体制はベテランの教授がいて、その下に助教授、助手が取り囲むかたちになっています。若い人たちがフランクに教授たちと議論を交えるという雰囲気は希薄です。教授の指導に従って学生が研究していれば大きな失敗はないかもしれませんが、大きな可能性を摘み取ってしまう危険性もあるのです。無難な研究ができても大きな発見はできない。教授も学生も率直に意見交換ができる雰囲気を大切にしようと考えました。

 日本の場合、どの教授の下で研究するかは非常に重要だった。教授の権威に若き学徒がひれ伏し、教授に生殺与奪を握られている悲哀は映画や小説でも描かれてきたとおりである。担当教授には意見を言えない雰囲気では弟子たちは委縮する。冨田教授は何よりも大らかで、伸び伸びした感覚が充溢している研究所を目指したかった。

冨田 福沢諭吉は「学者宜しく世間の嘩(かまびす)しきを憚らず、異端妄説の謗(そしり)を恐るることなく、勇を振て我思う所の節を吐くべし」と言っています。サイエンスの世界で相手の権威に圧倒されて、自由な意見が言えないのはナンセンスです。

 福沢はまた慶應の建学の精神は「半学半教」にあるとも言っています。つまり教える側と教わる側があるのではなく、教えると共に学ぶべきだし、学びながら教えるべきだと言っています。

 先端生命科学研究所によって鶴岡市に新しい風が吹き渡っているとすれば、斬新な研究テーマもさることながら、日本の旧態依然とした慣習に風穴を開けたからなのである。

 地方の人口減少対策、産業の空洞化対策、雇用の増大、移住促進など国はさまざまな政策を施行してきた。膨大な予算、多くの関係者が地域振興に関わっている。しかしながら地方の大切さを力説する人はいても自ら地方に仕事の拠点を移す人は少ない。

 本誌は創刊以来、今日の地方の衰退を招いたのは、敗戦後、先進国に追い付くために大都市圏に労働力を集中させ、輸出産業を伸ばそうとした国策の結果だと指摘してきた。若者を中央に集めるためには都会で働くことが格好いいことだと教育やマスコミ、映画や歌謡曲まで総動員して喧伝してきた。そのために方言まで揶揄して、地方を軽視する風潮を醸成した。地方に必要なのは助成金などよりも地方で働くことを誇らしく思えるような国民の意識改革であり、新しい潮流を創り出すことなのである。いわれなき地方の格下感の払拭を明言したのが、政治家や官僚や地域行政の専門家、社会学者ではなく、バイオテクノロジーを研究する科学者であったことは興味深い。

 インタビューの後、冨田教授は施設内を案内してくれた。心臓部というべきメタボローム解析ラボには最新の解析機器が並んでいた。これらの機器も購入して単に設置するのではなく、複数の機器を自分たちの実験に最適なように組み立てたという。工学にも医学にも造詣が深い冨田教授の強みがいかんなく発揮されている。視察に来た欧米の科学者たちはこの実験室を見て、とてもかなわないと脱帽するらしい。

 研究所の一角に10人は入れる大きなジャグジー風呂が設置されていた。

 研究所の向かいにはYAMAGATA DESIGN㈱が運営する、建築家・坂茂氏の設計による水田に浮かぶようなホテル「SHONAI HOTEL  SUIDEN TERRASSE」がほぼ完成していた。山中大介社長にもインタビューを申し込んだが、グランドオープンの目前で時間の調整がつかず、本誌の締め切りに間に合わなかったため、あらためてご登場いただきたいと思っている。

 冨田教授の持論は明快だった。地方を活性するにはいわれなき地方の格下感を払拭することが最重要課題だと言った。30年後、鶴岡市が地方活性化の成功事例になっているとすれば、冨田教授の功績は非常に大きいものがある。

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冨田1 この写真は大きく扱ってください。

 バイオテクノロジーの世界だけでなく、地方創生にも大きな貢献をしている冨田勝教授。

 

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 慶應義塾大学先端生命科学研究所のバイオラボ棟。

 

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 「半学半教」の精神で教授と学生が一緒に学ぶキャンパスセンター。

 

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 最先端のバイオテクノロジーで生物データを網羅的に解析する実験室。

 

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キャンパスは、のどかな田園地帯に広がっている。

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科学者の疲れた脳をリラックスさせるジャグジー風呂。

 

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