特  集

 小さな起業で地域の困りごとを解決する鶴岡ナリワイプロジェクト 

 山形県鶴岡市といえば、以前は藤沢周平の時代小説の舞台というイメージしか浮かばなかったのだが、どうしてどうして今や鶴岡は地域づくりの点からいっても全国でも有数の先進都市といっていい。「好きなこと、得意なこと」を生かして「地域の困りごと」を解決する小さな起業を目指す「鶴岡ナリワイプロジェクト」(井東敬子代表)により、主に女性たちによるソーシャルビジネスが次々に生まれている。特定非営利活動法人の「つるおかランド・バンク」は、専門家集団により行政や民間単独では手に負えない空き家空き地問題を一つ一つ解決していく手法を編み出した。海山の幸に恵まれた鶴岡市はユネスコに認定された日本では第1号の食文化創造都市であり、バイオベンチャー企業を輩出するサイエンスパークを擁する先端の生命科学研究都市でもある。話題に事欠かない鶴岡市だが、今号ではナリワイプロジェクトとランド・バンクを紹介しよう。

                            ジャーナリスト・松本克夫

良き子育て環境を求めて鶴岡に

 ナリワイプロジェクトの仕掛人の井東敬子さん(51)は、「私たちの仲間は変人が多い」というが、井東さん自身、ちょっと変わった人の1人かもしれない。東京に住んでいた井東さんが家族で鶴岡市に移り住んだのは、東日本大震災後間もない2011年4月。その前に博報堂勤務の夫が鶴岡に出張した際、雰囲気のよさそうな保育園を見つけたのがきっかけだった。東京で子育てするのは環境が厳しいと思っていた井東さんは、すぐに入園を申し込んだ。井東さんは山形県上山市出身だが、横浜市出身の夫と同様、鶴岡市には知り合いはない。夫は再就職の当てもなく会社をやめなければならないし、移住は一見無謀な選択にも思えるのだが、井東さんの経歴を聞くと、そうでもない。

 井東さんは、JTBに8年余り勤めた後、3年間ほどNPO法人国際ボランティアセンター山形の事務局で外国から来た花嫁の支援活動などに従事した。次の6年間は、静岡県富士宮市にあるホールアース自然学校で富士山の裾野の青木ヶ原樹海を探検するプログラムの指導員を務めた。2005年には愛知万博の森の自然学校・里の自然学校パビリオンの運営に携わり、2006年には東京で乳幼児に自然体験をさせるリードクライムという会社を設立した。これだけ多彩なナリワイと起業を経験していれば、鶴岡でも何とかなると考えたとしても不思議はない。

 移住して間もなく、変わり者の夫婦が移り住んだという風聞を耳にしたのか、市のある課長が訪ねてきた。井東さんは、「旅行関係の企画書を見せられたので、遠慮なく意見したら、その仕事を引き受けてくれといわれて引き受けました」という。井東さんの経歴を見込んでのものかもしれないが、面識のない移住者を訪ねてきて、いきなり仕事を頼む市の課長さんも、相当な変わり者である。これが縁で、井東さんはこの後市の仕事を次々に頼まれることになる。当時、鶴岡市は、厚生労働省の補助金(実践型地域雇用創造事業)を得て、食文化産業創造センターを立ち上げていた。スタッフは6人。そこで週3日でいいから働いてくれといわれてアドバイザーを引き受けた。

 

『月3万円ビジネス』をヒントに

 食文化産業創造センターは3年間限定の組織だったが、起業家を多数つくらないといけない役目を負っていた。その仕事をしながら、井東さんがたまたま目にしたのが日本大学工学部教授(当時)の藤村靖之さんが書いた『月3万円ビジネス』である。藤村さんの説く「月3万円ビジネス」は、文字通り月3万円しか稼がないビジネスで、「借金をしない」「人や社会にいいことしかしない」「奪い合いではなく分かち合い」「仕事と趣味と社会活動をなるべく切り離さない」「ネットでは売らない」「営業経費をかけない」などを原則にした新しいビジネスのあり方であり、生き方である。月3万円ではとても生活できないが、「月3万円ビジネス」をいくつか組み合わせた「複業」にすればいいと藤村さんは勧める。

 月3万円を稼ぐだけの小さなビジネスなら地方でも比較的容易に起こせるのではないかと思った井東さんは、早速ナリワイづくり支援事業に取り組むことにした。片仮名書きのナリワイは藤村さんの弟子に当たる伊藤洋志さんの著作『ナリワイをつくる』からアイデアをもらった。同書によると、ナリワイとは「生活の中から仕事を生み出し、仕事の中から生活を充実させる」手法である。

 井東さんは、まず藤村さんを招いて、起業講座を開催することから始めた。2013年に最初の講座を実施したが、参加者は多数で大変な盛り上がりを見せた。ただ、すぐには起業には結び付かなかった。井東さんの観察では、「参加している人に聞くと、やりたいことはいっぱいあるというのですが、一人でやるのは怖いということもあって尻込みしているようでした」。そこから一歩踏み出せるよう後押ししようと、2014年に「ナリワイづくり工房@鶴岡」という名称で、1年間コースの講座を開設した。同センターが廃止になった翌年には、トヨタ財団の助成金を得て、井東さんを中心に民間の事業として継続することにした。名称も「鶴岡ナリワイプロジェクト」に改めた。現在は助成金なしで継続している。

 

部活の乗りで起業

 井東さんがこのプロジェクトを始める時にこだわったのは、地域の「困った」を解決するビジネスを目指すことである。「隣のおばあちゃんがこういうことで困っているといったことに目が向くようになると、小さなソーシャルビジネスが出来ていきます。ママのプチ起業がもてはやされていますが、既存のビジネスモデルでは大手に負けてしまいますし、消費社会を助長するだけでは意味がありません」と考えている。

 起業講座といっても、ビジネスの心得のようなものを教え込む場ではない。参加者の思いや経験の交換が中心である。「私は自然体験の指導者養成の仕事をしてきました。そこでは、教え込まないで、自分で気付くようにすることがポイントでした。動植物などの名前を教え込むのではなく、まず五感を使って体験し、気づきを学びにしていくのが体験学習法です。会議の進行を手助けするファシリテーションも同じです。舞台が自然からナリワイに変わっただけです」という井東さん自らの体験から得たやり方である。

 「何かをやりたいことがある人はいますが、安心して話せる場がないといいます。ちまたに知識は溢れていますが、経験を共有する場がありません」という現状からいっても、話せる場、経験を共有できる場を設けるのが先決ということになる。ただ、そこから起業へと「一歩踏み出すためには、小さな勇気と自信が必要」になる。そこで、井東さんたちが考えたのが「学校の部活の乗りで起業しよう」である。「何かをやりたい人がプレゼンテーションをし、それに賛同する人が2人いたら、事業に着手しようと決めました」。部を設け、プレゼンテーターが部長になる。最初の年は、10人が部活をはじめ、そのうち最終的に9人が「起業します」と宣言したという。

 

100人が一歩踏み出せ

 ナリワイプロジェクト参加者はこれまでに48人になった。そのうち男性は5人で、多くは3040代の女性である。移住者が多いのも特徴で、3分の1は移住者が占めている。3年間の地域おこし協力隊員としての務めを終えて、次のナリワイを見いだそうという人もいる。井東さんは、「皆さん非常に優秀な人たちで、ジュエリーデザイナーもいればスタイリストもいます。この地域に人脈がないものですから、ハローワークに行くと、スタイリストの人は、あなたは服装を変えた方がいいといわれたそうです。そうした女性たちができることはいっぱいあります。お定まりのパート勤めしか道がないという発想に、怒りを覚えます」と女性の可能性を閉ざそうとする社会のムードを批判する。ナリワイプロジェクトは、働き方の選択肢を広げるための「私たち市民側からの働き方改革」でもある。

 起業講座修了者の多くが起業しているが、ナリワイの形はさまざま。名簿を見ると、鶴岡産絹を使った製品のデザイン、ペーパークラフト、ハンドマッサージ講座、干し柿作り、地域ライター、水泳の個人レッスン、写真撮影のメーキャップ、わら細工、無農薬野菜の生産、木工房など思い思いの道を歩んでいる。宇宙航空研究開発機構(JAXA)で国際宇宙ステーションの管制官をしていた佐藤涼子さんのような変わり種の移住者もいるが、その佐藤さんは出前宇宙講座を開いている。誰もが「月3万円ビジネス」の域に到達しているわけではないが、井東さんは、「地域にとって一番の価値は、これまでサービスを受ける側だった人が、地域の課題を解決する側に回ったことです。地域は1人のスーパースターより、普通の人100人が一歩踏み出すことが大事です」と小さな起業の意義を強調する。

 

自治会のナリワイづくりも支援

 2017年4月には、ナリワイプロジェクトの修了生の有志で「ナリワイALLIANCE(同盟)」を設立した。それぞれが独立しながらも、仲間としてつながっていこうという「社会起業家コミュニティ」である。メンバーは現在21人。月1回の「ナリワイCafe」で経験を交換し合ったり、イベントを開催したりしている。ナリワイプロジェクトは、市からの委託を受けて、自治会のナリワイづくりにも手を貸している。相手は市内の山間部にある大網地区の自治会。住民自ら地域ビジョンを作り、特産品作りや体験ツアーに取り組みたいと時間をかけて取り組んできた。最初の一歩を踏み出すためのきっかけづくりを求められた。「月山筍(がっさんだけ)というこの辺では有名な根曲がり筍がありますが、5月から6月にかけて月山筍を採るモデルツアーをやってみました。これからは、大網地区の祭りにALLIANCEメンバーも参加してみたいと思います。私たちのような小商いをしているチームと一緒にやれば、地域の人たちが望んでいることを実現できるのではないかと思います」と井東さんは期待する。大網地区での活動を聞いて、別の自治会からも手伝ってくれと声がかかっている。

 ナリワイプロジェクトのような主に女性による小さな起業グループは、鶴岡市以外にもある。埼玉県杉戸町の「チョイナカ」は同県草加市で「月3万円ビジネス」講座を開いているし、宮城県南三陸町や岐阜県恵那市にも似た活動をしているグループがある。井東さんたちは互いの経験を共有するための全国ネットワークをつくろうと動き出している。やがて鶴岡での経験が各地に広がることになりそうだ。

 修了生たちは多士済々だが、どういうきっかけでナリワイプロジェクトに加わり、どういう経過をたどって起業に至ったのか、3人の修了生に登場してもらおう。

 

バイリンガル育児・通訳・アートの複業

 鶴岡市の隣の三川町に住む菅原明香(さやか)さん(38)が起業講座を受講したのは2016年。2013年に出産したのを機に、勤めをやめ、2年間子育てに専念していた。社会復帰しようと思ったが、望む仕事が見つからない。「フルタイムの仕事ですと、子どもと過ごす時間が取れません。パートですとレジのスタッフくらいしか仕事がありません」と悩んでいる時期に、2015年度の修了生による成果発表会があった。そこでのプレゼンテーションに感動した菅原さんは、翌年の講座に参加した。

 予想とは違って、講座は参加者同士の話し合いが中心だったが、そこでビジネスのヒントをもらった。菅原さんは、アメリカの大学に通算5年半留学した経験があり、グラフィックデザインなどのアートを学んでいた。「それなら、こういうニーズがあるよ」といわれ、試しに取り組んだのが「バイリンガル育児講座」。一人一人がブースを持ち、合同で実施する「中間発表会」の場で実演してみた。「バイリンガル育児」は、幼児のうちから二カ国語で育てようというものである。菅原さんは、「子どもが英語を話せるようになってほしいというママたちはいるのですが、自分が英語を話す機会がないという人が大部分です。子どもは親から聞いて自然に覚えるのが一番ですから、親が英語を話すことが大事です」という。発表会で自信を得た菅原さんは、その後、ビジネスとして、0~3歳の子どもとその母親向けの「バイリンガル育児講座」を始めた。自身、4歳の子どもをバイリンガルで育てているから、そこでの経験をそのまま講座に生かせる。生活が仕事になるナリワイそのものである。菅原さんは、通訳案内士の国家資格を持ち、鶴岡通訳案内士の会のメンバーでもある。海外からの観光客などがあると、通訳も受け持つ。

 大学でアートを学んだ菅原さんには、アートの仕事もある。アートを得意とする修了生4人で「Hospital Heart Act」というグループをつくっている。病院などを訪れて、自ら表現することで得られる癒やしを応援するグループである。「患者さんとその家族や看護師さんたちとアートワークショップを開いています。誰でも気軽にやれるようなものです。私は塗り絵を担当しています。患者さんたちは病気を忘れて癒やされるといいます」。今や得意な英語とアートを生かした複業の起業家である。

 「何かやりたいと思っていても、なかなかその一歩を踏み出せません。ナリワイプロジェクトのような真剣に相談できる仲間がいるのは心強い限りです」と痛感していた菅原さんは、「ALLIANCE」の代表に就いた。

 

柿の葉茶の復活

 仙台市出身の佐久間麻都香(まどか)さん(32)は、鶴岡市にある山形大学農学部を卒業した後、日本を飛び出してみたくて、青年海外協力隊の一員としてアフリカ大陸西部のブルキナファソに渡った。日本とアフリカが共同開発したネリカ米の普及活動が協力隊員としての仕事だった。アフリカには2年2カ月いて帰国。大学院に進み、修了後、1年間、畜産と柿の農家で研修した後、農家を目指し始めた。今は42本の庄内柿の木を管理している。

 ナリワイに参加したのは、2014年の「ナリワイづくり工房@鶴岡」の時期だった。大学時代の友人が事務局にいたのが縁である。佐久間さんがここでメンバーに話したのは、柿の木についての困りごと。柿の木を受け継いだものの、世話をし切れないし、切りたくても切れないということで、放置したままにしているという知り合いの話である。これをどうしたらいいか部活で考えようと、柿の木の剪定や摘果をする部活「柿守人」を立ち上げ、佐久間さんが部長になった。初めは、農作業のアルバイトのように楽しくやっていたが、そのうちに、柿の木には普通年6回くらい薬をかけるが、放置されている柿は無農薬であることに気付いた。それなら、柿の葉を茶にすればどうかと思い付いた。

 佐久間さんは、「おばあちゃんたちは、昔柿の葉茶を飲んでいたそうです。苦いという印象の人もいますが、血圧を上げないようにする効果があり、肌にもいいといわれます」という話も聞いた。作り方はネットと本で学んだが、取ってきた葉を洗ってから干すだけの簡単なものだ。ナリワイの中間報告会で柿の葉茶を配ったが、「おいしい」というより、「体によさそうね」という反応だったという。最初は、8月の葉で茶を作ってみたが、葉が硬すぎたので、次はもっと早い時期の葉を摘むことにした。

 講座修了後は、これをビジネスにしているが、庄内産であれば買いたいという人もいて、作った分は売り切れるという。販売には部活以来の「柿守人」の名称を使っている。「マルシェなどでの対面販売が中心です。ただ、月3万円を稼ぐビジネスにしようとすると、集める葉の量が膨大になりすぎて非現実的です」という量的な限界もある。

 柿の葉茶の販売がきっかけで、外から仕事をもらうようになった。この春に始まったプロジェクトが「エナジーバー」である。ベンチャービジネスで働いているオランダ人の友人が開発している食品で、干し柿をベースにして、ドライフルーツとナッツを組み合わせる棒状のものだという。材料は全部庄内産を使う。佐久間さんは、「私の頭の中にはいつも国際協力があるので、このオランダ人の試みも何とか成功させてあげたいと思って、協力しています」という。柿栽培と国際協力が結び付きそうだ。

 

野の草花をアレンジメント

 フラワーアレンジメントをナリワイにしている斎藤智子さん(47)も、ちょっと変わっている部類に入るだろう。何しろ、21歳の時、花に興味があったわけでもないのに、夢で「花屋になりなさい」というお告げがあり、その日のうちに勤めていた会社に辞表を提出し、花屋の求人を探し始めたというのだから。しかし、花屋の求人はなく、たまたま見つけたのが青果市場の花束作りの仕事である。そこに5年ほど勤めた後、出産したため、平日は銀行でパートの事務をし、週末は花屋でアルバイトという生活になった。14年前からは、フラワーアレンジメントの教室を始めた。「全国に4600の教室があり合計9万人近い生徒数のフランチャイズの会社が開設しているものです。テキストは決まっているし、マニュアルがあり、花も仙台から直送してきます」というあまり独創性は求められない教室である。

 ナリワイの講座に参加したのは2014年。「月3万円ビジネス」とはどういうものかと興味をそそられて、説明会に参加した。「お金を使わないでいいことをする。仲間と分かち合うという話でしたので、カボチャを使って何かできないかと考えて、カボチャの種を播いたものの、3つしか実がなりませんでした」という失敗もあった。ナリワイでは、自然の素材を使ったフラワーガーデン部という部活を立ち上げ、部長になった。「4回くらいワークショップをしましたが、摘果した柿を使ってリースを作ったり、野の花でミニブーケを作ったり、お金がかからない方法を考えました」。

 その後、野の草花のアレンジメントはナリワイになった。斎藤さんは、「その時期にいい状態のものを組み合わせるわけで、道端に生えている葛のつるなどを使うこともあります。土手に生えている花に目を付けていても、翌日には刈られていることもあります。その辺にあるものだけで作るのかといわれるので、一手間かけることにしています。マルシェやクラフト市は乱立気味ですが、自分のコンセプトに合うものに出店しています」という。

 斎藤さんも、他のメンバー同様、「1人でやっていると、孤独になります。仕事の面ではコミュニティが全くありません。ナリワイでは、互いの悩みを話し合い、励まし合いながらやってきました」とナリワイを通じて仲間ができたことに感謝している。孤立していた女性たちをつなぐだけで何かが生まれる。ナリワイプロジェクトが実証したものである。

 

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