特  集

 週末は田舎暮らし。二地域居住のライフスタイルを

実践する馬場未織さん

子どもの好奇心に真剣に対応した母親

 馬場未織さんは毎週金曜日の夜、3人の子どもたちに食事をさせた後、お風呂に入れ、パジャマに着替えさせ、宿題や教科書を持たせ、月曜日の朝に必要になるもの一切を車に積み込んで、9時半ごろ東京・世田谷の自宅を出発する。環状8号線から産業道路を経て浮島インターから高速道路に乗り、東京湾アクアラインを渡って館山自動車道に入り、鋸南・富山インターチェンジで下りる。そこから15分走って、南房総市の家に着く。こうした夜の1時間半のドライブを11年間続けてきた。

 馬場さんが週末の田舎暮らしを始めたのは2007年、千葉県南房総市の旧三芳村に築120年の古民家付きの8700坪の広大な土地を取得してからだ。

「直接のきっかけは当時6歳だった長男の虫好きです。最初は電車、次に恐竜、幼稚園の年長さんになったころは生き物に夢中になって、虫や魚に旺盛な好奇心を示すようになりました。そのうち、“ママ、本物が見たい”とねだるものですから、近くの児童公園に連れて行くのですが、アリ、ナメクジ、ダンゴ虫程度としか出会えません。いまこの子の要求していることに応じてやらないと、いちばん重要な時期に大切なものを与え損ねてしまうのではないかと考えたのが、田舎に家を持とうと決心した直接のきっかけです」

 孟母三遷という言葉があるけれど、馬場さんはなんて素敵なお母さんなんだろう。馬場さんもご主人も東京生まれの東京育ち、親たちも東京出身で、田舎というものがなかった。駐車場やデパートの屋上を遊び場として育った馬場さんは、大学を卒業して建築事務所で働き、結婚して退職、フリーランスのライターに転身した。出産して、子どもの成長と向き合っているうちに、都市という宇宙は意外に狭いものだと感じるようになった。子どもの知識が増え、ヒラタクワガタ、センチコガネが見たいと言われて、ペットショップに連れて行ったこともあったが、味気ない。東京は、大人にとっては便利な都市でも子どもにとっては案外つまらない場所なんだなと思うようになった。馬場さん自身も、日々の生活は時間に追われ、自分の暮らしはこのままでいいのかと振り返る時間もなかった。仕事の忙しさは、他人の評価で自分の存在を確認するというストレスフルなものだった。次第に馬場さんの中に澱(おり)のようなものがたまっていった。もっと自由に自分らしく生きる方法はないのかと考えたのも、週末を田舎で過ごすライフスタイルを選択した理由だった。2004年に国土交通省は、人口が減少する地域のすべてで「定住人口」を増やすことはできない。都市住民が農山漁村などの地域に生活拠点を持つ「二地域居住」を提案していた。この考え方は、それまでも「半定住」「マルチハビテーション」「テレワーク」「遠距離通勤」など、様々な分野の人からいろいろな提案がされていた。本誌もかなり前に、第二住民票制度を提案したことがある。第一住民票の登録されている土地に納税し、選挙権を行使しなければならないが、第二住民票のある土地には何らかの地域貢献をしなければならないというものである。ちなみに本誌の内山節編集長は1970年代から東京と群馬県上野村を行ったり来たりして暮らしている、二地域居住の先駆者なのである。

 

田舎暮らしは草刈り人生でもあった

 南房総市に家を持ったことは、想像していた以上に馬場家の生活を豊かにすることになった。子どもたちは週末ごとに、広い家を跳ね回り、野山を走り回った。サンショウウオの卵を孵化させ、イトミミズで育てた。草刈りの途中で発見したキジの卵も孵化させ、東京の家と千葉の家を往復しながら育て、飛べるようになった時に放鳥した。区長さんから東京では絶対に食べられないズガニ汁というものもごちそうになった。モクズガニを石臼で細かくなるまでつぶして、みそを加え、濾してから煮立てた料理である。

 田舎に家を持つまで馬場さんは、家庭菜園というものに関心がなかった。自家野菜を自慢している人がいても、プロの農家が作るほうがおいしいに決まっていると思っていた。それが自分でソラマメを栽培し、収穫して5分もたたないうちにゆでて食べてみると、東京で味わうものとまるで違った。おいしさに陶然となって、簡単に人生観が変わってしまった。

 こうした馬場さんの体験は、2014年にダイヤモンド社から『週末は田舎暮らし』というタイトルで出版された。

 それにしても8700坪とは広大である。どんな経緯でこの家を購入したのだろう。

「二地域居住を目指してから3年間ぐらい物件を探して歩きました。ネットで検索して、これはと思う物件があれば不動産屋さんを訪ねたのです。初めは丹沢地域など神奈川県側を探したのですが、千葉県より5割ほど高い。千葉県はアクアラインの高い通行料が引っかかって敬遠していたのですが、地価の安さと、通行料の引き下げなどがあったので、東京湾を渡る決心をしたのです。

 南房総市の家は、持ち主が、本当にこの家を愛して大切にしてくれる人ではなければ売りたくないという人でした。いちばんの条件が草取りをきちんとしてくれる人ということでしたが、何も分からない私は、体力には自信がありますから大丈夫ですと答えたのです。それが甘かったことは、購入してから分かりました」

 家に入ったのは2007年の1月、初夏になると草の生えようが異常に速い。子どもが、“ママ、おうちが草で埋まってしまう”と怖がったほどだった。馬場さんが偉いのは、草刈り機を持ったこともないのに地元の人の指導でみるみる上手になり、約束どおり手入れを怠らなかったことである。この律義さが集落の信用を得ることができた。

 8700坪のうち宅地は300坪、家は50坪。農地が2900坪、あとは竹や雑木の里山だった。

 それにしても毎週、千葉に通うのはおっくうにならないのだろうか。

「週末に娘のピアノの発表会や学校の行事があったり冠婚葬祭があったりで、どうしても行けない場合もありますが、大体70%ぐらいは通っていると思います。千葉に通い始めたころは長男が6歳、長女が3歳で、下の子はまだ生まれていませんでしたが、いまお兄ちゃんは16歳で高校2年生、水泳部でインターハイを目指しています。中1の娘と小学3年の娘はこのごろは時おり友だちを誘って一緒に行きます。都市在住の友だちと、川に入ったり、獲ってきた野草で料理したり、遅くまで起きてフクロウの声を聴いたりと、普段はできないことをする。里山環境での遊びは何とも刺激的です。長男は一緒に来れない時は、土曜日に後から高速バスで追いかけてきます。できるだけ2週続けて家を空けないようにするのが、わが家のルールになっています」

 

地元の人たちに敬意を払う馬場さん家族

 東京と南房総を行ったり来たりする中途半端なことが地元に受け入れられるか不安だったが、馬場さん一家の人柄もあるのだろう、地元の人は温かく迎え入れてくれた。次第に、南房総市が第二の故郷と思えるほど深い愛着を覚えるようになった。この里山が将来も美しいままでいるためには、どんな働きかけをすればいいのか考えるようになった。

「一緒に南房総の里山のことを考えてくれる仲間をどうやってつくればいいのか考えるようになりました、昔からの友人や仕事で知り合って親しくなった人、SNSで意気投合した人などを南房総に招いて、私の思いを伝えました。この時の縁で、彼らはともに里山を守る活動をする仲間になったのです」

 2011年に「南房総リパブリツク」は創設され、翌年NPO法人化され、馬場さんは理事長に就いた。

NPOの活動は三つあります。一つは『里山学校』、これは里山の生き物を見て、触って、知ることの楽しさを伝えるプログラムです。この学校の先生には地元の自然について生き字引のような『南房総ほんまる農園』の本間秀和さんが引き受けてくれました。本間さんはわが家が心から尊敬している人で、“知るは愛のはじまり”という言葉を教えてくれました。確かに、ゴギョウもホトケノザも知らなければただの雑草、踏んづけて歩いてしまいます。知ることによって、好奇心や興味がわき上がり、新しい世界が広がってくると思うのです。

 二つ目は『洗足カフェ』、これは南房総の野菜はおいしいということを都市住民に知らせたくて始めました。大田区の洗足に拠点を持つ仲間がいたので実現した企画です。料理人はすべて普通の人、昼と夜も交代するので一週間で14人のシェフが、夜のうちに運び込まれた南房総市の超新鮮な野菜がウリでした。カフェ運営は2014年まで続け、今では農家さんのもとを訪れて野菜について学び、味わいながら、南房総の食と暮らしについて語らうイベント『MEETS南房総』として定着しています。

 三つ目は『三芳つくるハウス』、これは農業系・建築系の学生がともに里山環境について学び、自分たちの居場所をつくりながら、どんな仕掛けがあれば里山をもっと豊かに活用できるか知恵を絞り出すワークショップの場となりました」

 馬場さんたちは空き家の調査も行った。南房総市は39000人の人口に6000戸の空き家があることが分かった。空き家の活用が進まないのは、一人ひとりの事情に寄り添った対応をしていないからだが、馬場さんたちの活動が実って、現在二地域居住者が年々増えている。

 馬場家の二地域居住がうまくいっているのは、何よりも古くからの地元の住人に敬意を抱いていることだ。だから南房総市のために何か役に立つことをしたいという気持ちも自然に起こった。集落でお世話になった人たちへ、東京の青山あたりから有名店のお菓子を手土産に持って行っても、地元の豊饒な農産物と比べると何か見劣りがする。貧しく感じられてしまう。お金を出せば簡単に買えるお菓子は、長い時間の蓄積の上に収穫される農産物には迫力でかなわない。そういう感覚を持っているからこそ、地元の人たちも週末しかやってこれない馬場家の事情を理解し、寛大に迎えてくれたのだろう。

 馬場さん親子が田舎暮らしに向いているもう一つの理由は、何事も先入観にとらわれず探究心が旺盛なことである。家の中にゲジゲジが侵入してきたことがあった。家族は誰も悲鳴を上げたり、殺虫剤スプレーを持ち出すことはしなかった。子どもたちは図鑑で調べて、ゲジゲジはゴキブリなどを食べる益虫だということが分かった。見た目がグロテスクなだけで殺そうとすることがナンセンスだということに家族全員が納得した。馬場家ではゲジゲジは「かわいい」というジャンルに入っている。

ちなみに最後に、8700坪の土地がいったいどのぐらいの価格だったかの聞くと、ご主人が夢だったポルシェをあきらめたという答えだった。

 

 

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