●年齢のせいか、暮れが近付くとやたらと何事もありがたく、感謝したくなる。来し方行く末に思いを巡らせて、といっても行く末はあまり残っていないけれど、お世話になった人たちのお顔を思い浮かべて心の中でありがとうとつぶやく。その中には逝った人たちのお顔も多く含まれている。

年の瀬に際して、あらためて読者の皆さま、そして取材でお世話になった皆さまに御礼を申し上げます。

●私は決して信心深いほうではないが、神社の前を通るとガラガラと鈴を鳴らして二礼二拍手一礼をする。お賽銭は大抵10円、懐が豊かな時は気前よく100円。鈴を鳴らす暇がないほど急いでいる時は、お辞儀をする。お辞儀をしない時は会釈をする。取材で地方を回っていると、道路脇に鳥居が立っていたりする。奥のお堂まで歩いて行けない時は、遠くから少しだけ頭を垂れて通り過ぎる。そのお社に何が祀られているのは分からないが、長年、地元の人が大切にしてきたものには敬意を払うべきだと思っている。

●素直に粛然とした気持ちになるのは神社仏閣の前だけではない。山中で樹齢何百年か知らないけれど巨木に出会った時、金色の夕日が海に沈んでいく光景に遭遇した時などにも敬虔な気持ちになる。そんな時は西行が詠んだといわれる「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という歌が自然に浮かんでくる。大自然の中に人智を超えた大いなるものを感じ取るのは、日本人の特性だと思っている。

●地元の人が大切にしてきたものに敬意を払うのは、地域づくりでも外交でもいちばん重要なことだ。他国の者にとっては価値のないものに見えても、その地に住む人が大切にしてきたものなら、無視したり軽視したりしてはいけない。

トランプ大統領が、エルサレムを首都であると宣言した。この人は大胆で不敵で、まったく理解できない人だ。北朝鮮の元首をロケットマンと言ったり、あちこちで物議のタネをまき散らしている。トランプさんは、グランドキャニオンに沈む夕日を見ても、厳粛な気持ちにはならないタイプなのだろう。太陽は太陽でしかないと単純に割り切って、ツイッターに「sunset? so what!」と書き込むかもしれない。想像力の欠如は、政治家にとって致命的なことだ。本当の政治家ならば想像力を駆使して、いつか北の元首とアメリカ大統領がハグする日が来ないとも限らないと想像してみるべきなのに。

●歴史を振り返れば、かつては信じられなかったことが実現している。戦前、鬼畜米英と呪い、原爆を落とした敵国と、いま最も親密な関係にある。

中国や韓国とだって、仲良くやっていけないはずはない。ここ十数年の時間感覚で物を考えるから、理解できないのだ。中国が人道的発言をする人たちをたちまち拘束する体制が、長く続くとは思われない。われわれが生きている間は訪れないかもしれないが、必ずほころびが生じる日はやってくる、と考えるのがまっとうな人間の想像力ではないか。

●その点、日本の政治家には敬虔な気持ちがあるようだから安心である。新年には首相は毎年、伊勢神宮に国家の安寧を祈願する。ありがたいことだ。だが、待てよ。国家の安寧に、小生の安寧も含まれているのかしら。まさか、他国の侵略を排撃する強い軍隊を整備し、国民の国家に対する忠誠心が根付くように天照大神に祈っているのではないでしょうね。本誌30年を振り返ってみると、国家の発展は、個人の幸福としばしば対立することを見てきた。国家の安泰と繁栄は、必ずしも個人の幸福に結び付かない。この矛盾の克服に誠実に努力するのが政治家の仕事であるはずなのだが。 

●日本がこの先も平和で安心でいられる国であるためには、政治家以上に国民一人ひとりの想像力が必要になるだろう。国民の意思が100%一致することなどあり得ない。一致してはいけないことなのだ。そのために話し合う膨大な時間とお金が費消される。しかしそれは決して無駄ではない。ある意味で最も基礎的な国防費といえなくもない。私たちが、いろいろ問題もあるけれど、日本という国はいい国だ、日本に生まれてよかったなあと思うためには、しっかりと物を見て、しっかりと考えて、しっかり想像力を働かせねばなるまい。年の暮れに際して柄にもないことを申し上げました。今年は大変お世話になりました。来る年も何とぞよろしくお願い申し上げます。(KS)