●数えたことがないからはっきりした人数は分からないけれど、私の携帯電話には1000人以上の電話番号が登録されているはずである。こちらから頻繁に電話をかける人もいるけれど、めったにかけない人もいる。10年以上前に一度だけ電話で話した人も登録されている。容量の小さな携帯の時は、消息の知れなくなった人に遠慮してもらって、新しく知り合った人と交代してもらった。スマートフォンにしてからは容量も大きくなったので、付き合いの薄くなった人たちにもそのまま在籍してもらっている。登録されている人の中には二度と電話することはなく、かかってくることも絶対ない人もかなりいる。亡くなった人たちである。それでも削除する気になれない。携帯に登録されている間は、まだ生きているような、あの世と何かでつながっているような気がするからだ。

●前号に掲載した尾ア千惠子さんもその一人になってしまった。掲載誌が出て1カ月後に逝ってしまった。彼女は、最後まで普段の生活と変わらなかったという。取り乱したところもなく、恨みがましい言葉も口にせず、家族の前で笑顔を絶やさなかったという。良き夫に恵まれ、息子さんが頼もしき後継者となり、優しいお嫁さんとかわいいお孫さんに囲まれて、まったく後顧の憂いがなかったのだろう。まだ60代だから口惜しくもあっただろうに、安らかに息を引き取ったという。本誌が最後に会った時の印象は、人生を十分やり尽くした人のようなすがすがしさが伝わってきた。葬儀の祭壇に『かがり火』が飾られた。

9月はもうお一人、親しい人を喪った。長野県天龍村坂部の関京子さん(支局長)のご主人の関福盛(よしもり)さんである。21年前に天龍村を初めて訪れた日のことは今でも忘れられない。阿南町の早稲田までお二人に迎えに出てもらい、福盛さんの車の後をついて天竜川に沿って走った。飯田線の平岡駅を過ぎたころにはすっかり日が落ちて真っ暗になった。カーブの続く山道をおっかなびっくり運転していたら、夜の空に星が出た。“今夜は星がきれいですね”と言ったら、こちらの車に同乗していた京子さんに“あれは家の明かりよ”と言われてしまった。天龍村の坂部というところは、本当の山中にある。

●翌日、福盛さんに坂部の集落を案内してもらったが、なかなか前に進まない。あちこちに祠があり、石碑があり、お地蔵さんがあり、山の神がいて水の神がいて、馬頭観音が立っている。その前を通るたびに手を合わせて祈りをささげるものだから時間がかかった。坂部は民俗学の宝庫といわれている土地で、大正9年には関家に折口信夫が泊まっている。坂部の代表的な祭りは、毎年1月に行われる冬まつりで、24時間ぶっ通しで行われる。福盛さんは長老で、長年、禰宜を務めていた。

●冬祭りのほかに元旦祭、春祭り、節句祭、祇園祭、九月祭、春と秋の山の講など、年間60回の神事や行事がある。福盛さんは、これらの古式の慣習を絶やすまいと、決して簡略化しなかった。京子さんがまちづくりの集会などに呼ばれても、福盛さんは神々を独りにしてはおけないと、坂部を留守にすることはなかった。生活の節々に祭りがあるのではなく、祭りの合間に生活があるようだった。福盛さんは坂部で生まれて坂部の土に還った。尾ア千惠子さん同様に、福盛さんにも誠実な人生をまっとうした人の清涼感があった。

●二人の死に直面して、内山節の『時間についての十二章』の「山里の時間」の一節を思い出した。前にもご紹介したが再度、引用させていただきたい。

「去年の春から一年が経過したと感じるのは縦軸の時間のこと、もうひとつの時間世界では、春は円を描くように一度村人の前から姿を消して、いま私たちのもとに戻ってきたのである。一年の時間が過ぎ去ったのではなく、去年と同じ春が帰ってきた。時間は円環の回転運動をしている。このような時間存在を、とりあえず私は縦軸の時間と対比させて横軸の時間と記した。それは自然と強く結びついた暮らしと労働を営む者たちの時間世界である」

お二人は、毎年同じ農作業、山仕事を丹念に繰り返してきた。二人は横軸の時間の中に没したのだと思う。だから、二人は生の世界から死の世界へ、そして再び生の世界へと回帰する大きな円環運動の中に永遠に存在すると思っている。私は“よみがえり”ということを信じ始めている。 (KS